<東南植物楽園設立趣旨>
日本列島の最南部に在って、亜熱帯としての気候条件をもとに、豊かに育つ沖縄の自然は、まさにわが国至宝とも言うべきものである。
しかし人間社会の発展は、その一方で自然侵蝕によって成り立ってきたのも事実である。この繁栄の反面にある自然の荒廃は今や人類の将来にとって、その存在も危ぶまれる程の重大な問題を誘起している。といって人類が更に、繁栄を求めていく限りその解決は決して容易ではなく、また少数の人がこれに対処しても何等力とは成りえない。
緑なき自然の荒廃は心の荒廃につながると言われる。いま我々が出来ることは、自然の恵み、自然の素晴らしさをより多くの人々に認識してもらうことである。
私はこの沖縄に居を定め、初期の頃は農園造成に力を注いだが、昭和43年(1968)この沖縄の恵まれた自然条件を生かした植物園造ることこそ21世紀に向かう私の務めと考え日本本土では望み得ない熱帯性植物の野外栽培を実現し我が国はもとより、この沖縄が世界に誇れる一大熱帯植物園を造成しようという熱意に燃え、ここに東南植物楽園を設立した次第である。
大林正宗
日本列島の最南部に在って、亜熱帯としての気候条件をもとに、豊かに育つ沖縄の自然は、まさにわが国至宝とも言うべきものである。
しかし人間社会の発展は、その一方で自然侵蝕によって成り立ってきたのも事実である。この繁栄の反面にある自然の荒廃は今や人類の将来にとって、その存在も危ぶまれる程の重大な問題を誘起している。といって人類が更に、繁栄を求めていく限りその解決は決して容易ではなく、また少数の人がこれに対処しても何等力とは成りえない。
緑なき自然の荒廃は心の荒廃につながると言われる。いま我々が出来ることは、自然の恵み、自然の素晴らしさをより多くの人々に認識してもらうことである。
私はこの沖縄に居を定め、初期の頃は農園造成に力を注いだが、昭和43年(1968)この沖縄の恵まれた自然条件を生かした植物園造ることこそ21世紀に向かう私の務めと考え日本本土では望み得ない熱帯性植物の野外栽培を実現し我が国はもとより、この沖縄が世界に誇れる一大熱帯植物園を造成しようという熱意に燃え、ここに東南植物楽園を設立した次第である。
大林正宗
東南植物楽園設立趣旨にのっとり活動を重ねた結果、沖縄県民に広く利用され来園者も増えたことに加え、内容も一段と充実したことにより博物館相当施設指定申請書を昭和55年(1980)12月27日付けで沖縄県教育委員会に提出した。結果、翌年の昭和56年(1981)3月31日付けで、指定の通知があった。
<経過>
大林正宗は昭和43年(1968年)に当地にヤシの栽培を中心とする農園を開いた。
1972年本土復帰した沖縄に日本からの観光客が増え始め、観光客を案内するタクシードライバーや観光バスの運転手・ガイド、さらには旅行社も沖縄の観光スポットを模索しており、次第に訪れる観光客も多くなった。そして、「熱帯植物を展示しどこからでも写真が撮れる、きれいな庭園」を作る計画が建てられた。ハワイ、東南アジア、アメリカなど各国の熱帯・亜熱帯地域を視察、資料や写真の収集を重ね本格的な庭園造りが行われた。
1973年施設の整備拡充のため水上楽園造成工事に着手し、1975年に完成した。おりしも沖縄海洋博覧会が開かれた年であった。
1976年7月(有)東南植物楽園を設立、名実ともに沖縄を代表する観光施設と評価されるに到った。
1981年に沖縄県教育委員会より博物館相当施設の認定を受けた。
<経過>
大林正宗は昭和43年(1968年)に当地にヤシの栽培を中心とする農園を開いた。
1972年本土復帰した沖縄に日本からの観光客が増え始め、観光客を案内するタクシードライバーや観光バスの運転手・ガイド、さらには旅行社も沖縄の観光スポットを模索しており、次第に訪れる観光客も多くなった。そして、「熱帯植物を展示しどこからでも写真が撮れる、きれいな庭園」を作る計画が建てられた。ハワイ、東南アジア、アメリカなど各国の熱帯・亜熱帯地域を視察、資料や写真の収集を重ね本格的な庭園造りが行われた。
1973年施設の整備拡充のため水上楽園造成工事に着手し、1975年に完成した。おりしも沖縄海洋博覧会が開かれた年であった。
1976年7月(有)東南植物楽園を設立、名実ともに沖縄を代表する観光施設と評価されるに到った。
1981年に沖縄県教育委員会より博物館相当施設の認定を受けた。

